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阪神・淡路大震災と住民生活

 

岡 田 八 郎
(西宮市)

 

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西宮市で特に被害の大きかった地域は、市役所付近、阪急夙川駅付近、そして私達の住む阪急西宮北口駅周辺でした。
当日の1月17日5時46分、一瞬の物音(瓦の崩れる音、ガラスの壊れる音、木の裂ける音)ガチャガチャとなんとも表現のできない音がして、地震と感じ飛び起きました。早く避難しなければ!!再度の揺れがあると思い、廊下に出ようと思ったが、真っ暗で何も見えない、何分にも自分達のいる所が半壊しているようで、窓が傾き、普通の力では動かない。全力を尽くして両手で開け、やっとの思いで2人は外に出ましたが、息子夫婦、孫が心配で、大きな声で名前を呼びました。息子からは、直ぐ返事がありましたが、嫁、孫は未だ出てこないとのこと、塀が倒れ、納屋は傾き今にも壊れそうになっています。2階の窓から孫たちが出てきて、全員が傷もなく、無事であることを確認した時には、全身の力が抜けた様な感じでした。東の空も少しずつ明るくなるにつれて、自分の家が2階が1階になって大屋根だけ残し、1階の床下までめり込み、大きな横木(ハリ)の幅しか空間がなくなっていました。隣近所は、昨日の町の面影は全くなく、東隣は本建築の大きな家が、全く姿なくガレキの山になっていました。家族7人のうち6人まで家の下敷きになり孫娘2人を亡くされ、西隣は孫1人、その西隣は老夫婦が亡くなられました。私達は、本当に九死に一生を得たのでした。いつ起きるか分からない大地震の恐ろしさを改めて認識させられました。
当日は、私達の校区内の民生委員の安否を確認すべく自転車で廻りましたが、どこに避難されたか不明の方も多く、翌日、市役所に出かけましたが、市役所前は、救援物資が道路まではみ出し、所狭しと積み上げられ、市役所自体が6階以上は壊れ使用不能で、1階は数多くの避難者の方がおられ、被災者の方々も情報や対策について相談されるため押しかけておられ、事務局は電話対応だけで身動きがとれない状態でした。また国道2号線は車の列ができ、全然動く様子もなく、ただ不気味に消防車、救急車、ガス修理車がサイレンを鳴らし通り過ぎて行く。パニック状態とはこのことかと思いました。3日目に市役所に行った時も同じ様子、総てが異様な状況でした。民生委員の情報を知りたく、相当の時間待ち、事務局の方に会ったところ、その時初めて、委員の方が5名亡くなられた事を知り、非常に残念に思いました。
その様な状況の中で、委員の方々は一人暮らしの老人の安否、あるいは救援物資の配布等日常活動の延長と捉え、自分達の家の倒壊した後片付けもほどほどに地域活動をされており、その姿は実に立派だと思いました。また、この様な時に多くの方々から温かい手を差し延べて頂いた時、本当に人間としての温かさが身に沁みた思いが致しました。今日まで民生委員として、また、行政相談委員として、少しでも皆さんのお役に立てばと考えながら現在まで続けて参りましたが、おかげで「絶望から待望」へを中心理念として今後とも活動を続けて行きたいと考えております。

 

 

 

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